2007年9月21日金曜日

お茶会6

9月15日
依頼者 小手川
パフォーマー 兼盛雅幸(舞踏家)
会場  船橋市大穴北
 第4回目の茶遊びで小手川から青山さんに依頼した場所、裏原宿の坂は、小手川の生まれ育った船橋市大穴の家の近所にあった坂を思いださせる場所でした。大穴の家には、7歳まで住み、その後は祖母がひとりで暮らしていた場所です。昨年祖母がなくなり、今年中に取り壊しの予定となったその家は、わたしにとって、もうすぐ帰ることのできなくなる、懐かしい家です。
 今回は、舞踏家の兼盛さんに、実際に、今は空き家となっている大穴の家にいって踊ってもらう、という依頼をしました。
 そのときの様子をレポートします。(小手川)


15日 
15:30 前日、お礼に支払うのお茶を準備しておいた。お茶請けに出すものを準備して、車に積む。子どもを乗せて、船橋に向けて出発。
18:00 待ち合わせの時間になったが、三連休初日のためか渋滞がひどく遅刻。結局45分に待ち合わせの駅に到着し、兼盛さんと岸井さんと合流。
19:00 大穴の家に到着。鍵は開いたものの、電気がつかない。ブレーカーの位置を何とか思い出して、スイッチを入れたら電気がつく。
水道は出たが、ガスは止まっているらしい。念のためにもってきたガスコンロを出しておく。電気ポットがあったので、それでお湯を沸かす。
併行して、家の中を探索。2階は雨漏りしていた。
19:30 まずは、一杯目のお茶を入れる。今回のお茶は、小手川の現在の地元、川越名産の狭山茶。お茶を飲んで、大穴にすんでいたころの話や、祖母の話しをする。ガスコンロでは、祖母の出身地大分の郷土料理、団子汁の準備をする。
祖母は、生まれは福岡だったそうだが、その後家族で別府に移り住み、20歳前後で親戚のいた台湾へ渡る。結婚後、1942年ごろから中国南部に移り、祖父と日本酒工場を営んでいたらしい。終戦後、1946年春に日本に帰国。その当時私の父を妊娠中で、帰国直後に出産したそうだ。
そんな、わたしが祖母から聞いた話や、家族の話をする。
その後、ダンスの準備。兼盛さんから、「移動しながら踊るので、ついてきて観てください」といわれる。
兼盛さんが今の隣の部屋にはいって、ふすまを閉め、いよいよダンスが始まる。
続く。

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